結月陽花導入

導入直前までのできごとです

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 玲音の定位置だった――店に入って一番奥の――このカウンター席から見る街は、なんとも奇妙だ。
 窓一枚しか隔てていないのに、そうとは信じられないほどに静かな店内はまるで異世界のようであって、落ち着くのに少し変な気持ちになる。
「陽花、コーヒー入ったわよー」
「ああ。で、お前も休憩するんだろ?」
「ええ。客途切れてるし」
「やっぱり」
 菜緒は二人分のコーヒーを持って、オレの隣に座った。
 そして、凛としていて透き通った、透明な声を店内に響かせる。
「ねえ陽花、計画の準備の方はどう?」
「どうもこうも、結構手詰まってる」
「やっぱりそうなのね」
「ああ」
 上辺では普通を装っている。だが、心の中は空っぽ。なんにもない。そうなってしまったのは、一年前のあの日からだ。
「......玲音、今は転送先の世界でどんな生活を送ってるのかしらね」
「さあ? ......ま、玲音の事だしオレがいなくて寂しがってたりするんじゃね?」
「ふふ、そうでしょうね」
 可笑しそうに笑う菜緒。
――だけど、オレには分かってしまう。

「......やっぱり、菜緒も辛いよな」
「......ええ」
 菜緒はかつて玲音に恋していた。
 今では親友だけど、あろうことかオレと玲音が付き合い始めた直後に玲音に玉砕覚悟の告白をするほどだった。
「菜緒、そっちの方はどう? 進んでるのか?」
「それがね、ちょっと今――って、噂をすればなんとやら、ってね」
 菜緒がそう言って言葉を止め、カフェの入口の方を見る。オレもそれにつられて入口を注視する。
 それから一秒も経たないうちに、ドアが開いた。
(なるほど。やっぱエルフって耳良いな)
「菜緒、ただいま――って、陽花もいるんだ。いらっしゃい」
 オレと玲音の親友で、菜緒の彼氏の――魔族の青年――冬樹だ。何やらビニール袋を引っ提げている。
......中身が緑色で埋め尽くされているが。
「おう、冬樹。早速だけどその荷物は何? 買い出し?」
「これ? 違うよ。菜緒に頼まれたんだけど、用途までは説明されてないんだ」
 冬樹がそう言って袋から取り出したのは、よく分からない卓上に置ける大きさにされた観葉植物や謎の棒切れ。他にもいろいろとあるが、正直に言うとよく分からないものばかり。
「菜緒、これは?」
 訊ねると、菜緒は優しい笑顔でオレたち二人に説明を始める。
「これはね、古代の魔法を再現するのに必要な物なの」
「「古代の魔法――」」
「ええ、そうよ。そうね、わかりやすく言えば......陽花、あなたのご先祖様が一番栄えていた時代の、かしら」
 オレの先祖と言えば、人間と魔法使いの二種族。つまりは――
「魔法使いの時代......」
「正解。つまりは中世の時代ね」
「「中世......」」
 菜緒は謎の棒切れと観葉植物の葉をいじりはじめる。
「例えば、この葉は梛という木の葉で、縁を結ぶと言われているわ」
「縁結び......あっ」
 さすがに分かる。ここまできたら分かる。これで分からなかったら魔法を扱う者として恥ずかしい。先祖に顔向けできない。
「菜緒が僕に梛の葉を買わせたのはそういう理由だったんだ......」
「あら、二人とも分かったの?」
「ああ」
「うん」
 二人で頷くと、菜緒は機嫌を良くし、更に話を進めだす。
「なら、私が何をしたいのかは分かるわよね。そういう事よ。で、昔の魔法って言うのは今よりも――」
「「長くなるからカットで」」
「......これは杜若。幸せは必ず来るって意味よ。で、これは分かるわよね。朝顔。固い絆とか、友情とか、そういう意味」
「そんな意味あったんだ......」
 玲音なら分かったんだろうなとか、そんな事を思う。
 隣では冬樹が苦笑しながら菜緒の話を聞いている。
「で、アベリアは強運。これは魔法の成功率を上げるためね。そしてこれは碇草。貴方を捕まえるとか、旅立ちとかそういう意味があるわ。今回のキープラントってとこかしら」
 菜緒は満足げに説明を終える。
 ここで一つ問題が。
「はい、菜緒先生」
「はい、なんでしょうか陽花さん」
「長すぎて意味が分かりません!」
「............ま、やりたいことが分かればいいのよ」
 それならば問題ない。全て覚えろとか無理がある。
「でさ、話聞いてる感じ、オレと冬樹に出来ることはなさそうだけど?」
「冬樹はともかく、あなたにはあるわよ。というかむしろメイン」
「そうか」
「僕にはもう無いんだ......」
 軽くショックを受けている冬樹は放置で、話を進めよう。
「で、オレは何をすりゃあいいんだ?」
「あなたの家、お父さんの仕事の影響で魔導書の数多いんでしょ?」
「ああ......あっ――!」
「そういうこと」
 菜緒が言いたいのは、オレの家にある魔導書の中からめぼしい魔導書を見つけてきてほしいということなのだろう。
「コーヒー飲んだらすぐに探しに行く!」
「はいはーい」
「気をつけてねー」


「......あったぞ......」
 場所は玲音の家。時刻は午前四時三十分。ちなみに玲音の家への侵入方法は、合鍵を使ったことによる正攻法。もちろん玲音から譲り受けたものだから問題は無いが。
「「............」」
 そんなことよりも菜緒と冬樹からの優しい視線が痛い。

「なんだよお前ら。ほら、さっさとやろうぜ」
「ええ......でも、なんでそんなに汚れてるのか察しがついただけに、玲音の偉大さが......シャワーくらい浴びてから来てもよかったのに」
「ほっとけ......」
 菜緒の予想通り、オレの家は大惨事でしたよ、はい。おかげで魔導書を探している時はマスクをしていてもくしゃみが止まらなかった。今も少し喉が痒い。

「......じゃあ、こっちでやり残すことは無い?」
「うん。僕は大丈夫」
「オレも」
「そう。じゃあ......最後にもう一度注意するわね」
「ああ」
「うん」
 菜緒は目を閉じ、静かに説明を始める。

「......まず、こちらの世界には戻ってこれないし、こちらの世界の人々の記憶から、私達は消えるわ。もちろん写真からも消える」
「ああ」
「うん」
 菜緒は説明を続ける。
「次に、この魔法は失敗したら森の中をさ迷うわ。その森は危険だし、ほぼ死ぬようなものだけど......もし死んだら、その死んだ人の記憶も皆の記憶から消えるわ。それは私たちの間だとしても。森から抜けたら通常通り向こうに転送されるわ。森での記憶も消える」
「ああ、大丈夫だ」
「うん、覚悟してる」
 菜緒はオレ達の決意を聞いて、静かに頷く。
 そして、重たそうに口を開く。
「......そして最後。もしかしたら向こうに着いて、記憶を失ってしまってるかもれない。こればっかりはどうしようもないわ。もちろん消えてない確率の方が高いけど、一割くらいで......」
「それも覚悟してる」
「僕もだよ」
 菜緒は頷くと、寂しそうな笑顔を浮かべる。
「......じゃあ、四十四分になったら始めるから、その二分前まで待機ね」

 菜緒の言葉に従い四十二分まで待つ。
 持てる分だけなら、荷物も持って行けるとの事なので、ポケットに入りそうなものを持っていくことにしたが、少し寂しい気がする。

「......なあ菜緒、これって持ってっても大丈夫か?」
「どれどれ――って、これ......」
「ああ、そうだ。向こうに持ってったらそれは消えないんだろ?」
 オレが所望したのは、玲音の部屋に飾ってあった写真立て。中にはオレたち四人の集合写真が。
「......ええ、そうね。構わないわよ」
 菜緒の許可を得たので、パーカーのポケットに無理矢理写真立てを突っ込む。
 この写真立ても含めて、思い出だから。

「ねえ菜緒、これ持ってってもいい?」
「次は冬樹ね。えーと、なにかしら?」
「これこれ」
「それは――いいわよ」
「分かった、ありがとう」
 冬樹が所望した物は、玲音の書いたライトノベルの一巻目。

「......そろそろ時間だし、準備しましょうか」
「「――」」
 菜緒の言葉に無言で頷き、リビングの中央に描いた魔法陣の上に乗る。
「じゃ、始めるわよ。杖は持ったわね?」
「ああ」
「うん」
 オレと冬樹は杖に魔力を込める。魔法の詠唱は一人だけで良いので、菜緒に任せる。
 菜緒は静かに言の葉を紡ぎ、異界への門を開こうとする。
「『これは旅立ちの物語。神の祝福すらも届かぬ、深淵への門出。道を塞ぐは理の壁。我らはそれを砕き、前へと進まん。繋ぐは縁。断ち切るはこの世への未練。さあ開け、異界の門よ。森を抜けた先に見るは新たな理――【ゲート・オブ・エヴァ】』――!」
 突如、足元が輝き、部屋を光で満たす。
 光が収まった頃には、目の前に一つの無機質な小さな黒い門が立っていた。

「......じゃあ、行くか」
「うん」
「ええ......」
 一番に足を踏み出す。
――その光の先に見たものは――

「うわぁぁぁぁっ!?」
『『『!?!?』』』

  • 最終更新:2018-09-05 00:27:35

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