陰る日暮れ。伸びる影。
 穏やかな顔のまま暗くなってゆく外の光景に視線を外す。
 ベランダから眺める、宇宙の夕日はなんとも穏やかで、地球にいた頃を思い出す。

「......綺麗だな」
 そう言って、俺は視線をそっと本に戻す。
「ああ。本当に綺麗だな」
 隣の陽花は頷き、静かにコーヒーを飲み、読みかけの本に目を落とす。

 外でランプの灯りを頼りに本を読むのも悪くない。
 思えば、カフェの設営を終えてから久しぶりにゆっくりできる時間を迎えられたような気がする。

「玲音、コーヒーお代わり頂くわよ」
「はいよ」
 隣のもう一つのソファに座っていた菜緒はそう言って二人分のコーヒーカップを持って店の中に消えていく。
「ねぇ玲音、今だから言えることなんだけど」
「ん?」
 菜緒の隣に座っていた冬樹が、面白おかしそうに笑いながら、イタズラの相談を持ちかける子供のように声を殺して言う。
「菜緒、実はかなり嬉しいのを隠してるんだよ?」
「へぇ?」
「菜緒、こっちで皆とカフェを続けられるのが嬉しすぎて、昨日とか眠れなかったみたいだし」
「そうなんだ。あいつらしいな」
「でしょ?」
 菜緒の事だし、見かけよりも嬉しそうなんだろうとは思ってはいたが、まさか眠れないほどだったとは。

「なあ二人」
「ん?」
 陽花は苦笑しながら言う。
「全部聞こえてると思うぞ?」
「ええ、その通りよ」
 菜緒がコーヒーをいれて戻ってきた。
「あ、おかえり。ありがとー」
「おかえり。じゃないでしょ。何余計なこと言ってくれてるのよ」
「えー? だって本当のことだし?」
「......」
 菜緒は呆れて首を横に振り、ソファに座ってコーヒーを一口。
 菜緒のその頬が、僅かに赤いのはコーヒーに熱さのせいだけではないのだろう。

「こうやって皆で集まって本を読むのって、どれくらいぶり? 一年? 二年?」
「それくらいじゃない?」
 俺の質問に冬樹が答えたのに、菜緒も重ねる。
「ええ、それくらいだと思うわ」
「だよな。俺が目覚めたらこっちに来てたのが、ちょうどそれくらいだし」
――俺の一言で、三人の表情に影が差した。
 三人が俺がこっちに来た理由を知っているのは明白だ。だが、明かさないということはそれなりに重い事情があるのだろう。

「......俺、さ。前にこんなこと思ったことがあるんだよ」
「「「......」」」
「この先どれだけ平凡でも良いから、こうやって皆で集まって、何をするでもなく平和な時間を過ごせるような人生だったらいいなーって」
「玲音......」
 陽花の表情が目に見えて暗くなる。否、泣きそうになる。
「......教えてくれるか? 俺の身に何が起きたのか」
 久しぶりに使う、有無を言わせない優しい声。
 冬樹が困ったように笑う。
 菜緒の顔からは笑みが消える。
――陽花は顔を歪めながら、ゆっくりと頷く。
 永遠にも思える短い沈黙。重く暗く、陽花が言うことを拒んでいるのが分かる。
 でも、

「......実はな......玲音、死んだんだ」
「......」
「ある災害が起きて......暴走トラックからオレを庇って......」
「......」
 そんな事は記憶にはないが、陽花が言うのだ。まず間違いはないだろう。
 陽花は零れる涙もそのままに、俯くことなく続ける。
 俺は、その瞳に言いかけた言葉を飲み込む。
――だって、その瞳には確かな強い光が宿っていたから。
「それで、菜緒の案で......記憶は書き換えられるけど......それでも、いいって言って......玲音の魂を飛ばして......」
 陽花は一度言葉を切り、深呼吸をして、もう一度口を開く。
「......それで、玲音の魂が辿り着いた先がここだったんだ。玲音......今まで黙ってて本当にすまん!」
 陽花はそう言って立ち上がり、俺に向かって頭を下げる。今までに見たことの無い真剣さで。

「......」
「許さなくてもいい。だけど......謝らせてくれ」
 陽花はそう言ったまま、頭を上げない。
 だから言ってやろう。
「誰が許さないって?」
 俺の一言で、菜緒と冬樹の表情が優しいものに変わった。
「......」
 陽花は頭を上げ、俺の目を見つめてくる。
「陽花はこうやって辛い思いをして教えてくれた。それに、庇ったのは俺の判断なんだし......記憶には無いけど、陽花を守れて良かったって思う」
 いざと言う時に陽花を守れる自分がいて、少し嬉しくなる。
「玲音......」
 陽花の頭に手を置き、撫でる。
「ありがとう。会いに来てくれて」
「......!」
 既に壊れたと思っていた陽花の涙腺が更に崩壊する。
 陽花は何も言わずに俺の胸に飛び込んできて、子供のように泣きじゃくる。
「あらあら、お熱いことで......」
 菜緒がそうやって優しい声で、苦笑しながら言う。
「そういう二人もわざわざ来てくれてありがとうな......二人とも、俺の大切な親友だ。本当に嬉しいよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「だね〜。苦労したかいがあるよ」
 衝撃的な事実だったが、何故か自然と受け止められる自分がいる。
 自分が死んだ。それは確かにショックだ。
 でも、こうやって大切な日常が俺を迎えに来てくれた。
......だから、それでいい。それがいいんだ。
 俺の大好きな陽花、菜緒、冬樹。この三人がいたら、俺は生きていける。
 この日常を守るためなら、俺はどんな犠牲も厭わないだろう。
 この俺が唯一望むものは、それだけだ。
 だから、どうかこの日常が去らないように......。

「玲音、大好き......!」
「......」
 ここでそれは反則だ......。
「「照れてやんの〜」」
「るっせ......」
 からかってくる親友二人から顔を逸らし、夕日を眺める。
 陽花の頭を撫で、抱きしめる。
 小さな体から伝わってくる確かな体温。
 柔らかな髪と、その愛しい声。
 どうしてこう、一人の人間がこんなにも愛おしいのだろうか。
 尊い存在が、俺のことを求めてくれる。それだけで俺はいい。

「玲音......明日、玲音がショタ化してなかったら二人でデートしよっか」
 陽花は無責任にも、明日がやってくるということを信じている。
「......そう、だな」
 その明日がやってくる補償なんてない。俺達の仕事は危険と隣合わせなのだ。
 それでも、陽花は明日が来ると信じて疑っていない。
「オレ、玲音と行きたい場所が星の数ほどあるんだよ。だからさ、明日は早速その中の一つに行こうかなって」
 陽花が一緒に行きたいと言っている場所全てを巡るという夢が実現するかは分からない。
 でも、望むのは簡単だ。
 だから、俺はこう言おう。
「ああ。いつか、陽花が俺と行きたいって場所、全て巡ろうな」
「......うん!」
 嬉しそうに頷く陽花。
 陽花の肩に腕を回し、陽花と体を預け合う。

「ほんと、お熱いわねぇ......水差すようで悪いけど、私たちがいること忘れてないかしら?」
 菜緒が本当に水を差してきた。
「菜緒、爆破刑」
 陽花がそう菜緒に告げる。
「なんでよ!?」
「オレが玲音とイチャイチャしてるんだ。水差した罪は重い」
「だからって理不尽過ぎないかしら!?」
 俺と冬樹はお互いの恋人が言い合っている姿に思わず目を見合わせてしまう。
 そして、笑いあう。

「なんで二人は笑ってるのよ」
 菜緒がジト目でそう訊ねてくる。
「いやー......幸せだなって」
「でしょうね。だいだいだーい好きな陽花を独り占めしてるんだもの」
「いや、それもあるけどそれだけじゃない」
「なら何よ」
「......内緒だ」
「......何よ、それ」
 これから先も、こんな風に笑いあっていきたい。
 そして、明日が来るということを俺も無責任に信じるとしたら、俺が心の底から真に望む光景はただ一つ。

――こんな風に、こいつらと笑い合う未来が目に映れば、俺はそれで眼福だ。

  • 最終更新:2018-11-12 00:34:14

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