兄と弟

「それは違うな」


ギギ、と音を立てて兄は椅子に凭れた。
手を頭に当て、ボキボキと凝り固まった身体を鳴らして。


「何が違うのでしょうか」
「個性云々の話だよ。そいつのいう前提はお前には当てはまらないってことだ」


【自己を規定するのは、他人の認識でしかない】


ルビィアは確かにそう言った。
こう、無理やり話題を持っていったようには感じたが、それでも納得出来ないことでもなかった。





書類整理に追われていた兄に、淹れたての紅茶を勧めソファに座る。
生返事だった兄が、この間の【双子】襲撃とその顛末について聞かせろ、と言ったのでありのままに話したのだ。途中、意識が途切れていてあやふやな場面もあったが、大きく間違っているわけではないだろう。


「【自己を規定するのは、他人の認識でしかない】 …は合っているとしよう。俺もその考えを信じている人間だからな。だが、その説で無個性に値するのは、本当に"独り"のやつだけだ。家族も、友人も、顔見知りの人間も…なにひとついない奴だけだ。前例がないわけではないが、そう安安といるものでもない。……お前は違うだろう。お前は、あの人の腹にいた頃から多くの人間に認識されていたんだからな」


ズズ、と兄は紅茶を飲む。
兄がミルクティー派であることを知ったのはつい最近だった。好きな食べ物も、嫌いなことも、俺は何一つ知らなかった。違う、知ろうとしなかったのだ。


「お前の存在が度々忘れられていたのは、噂から形成されたアヴェイロという人格と、実物であるお前があまりにも掛け離れていたからだ。人は噂のお前を探し、本物が見えなくなっていた。」

「……」

「レイリアによってお前は個性を得た、と言っていたがそれも合っているようで違うだろうな」

「どういうことです?」

「確かにお前は、"あの"レイリアの勇気と優しさで救われた。普通、熱湯を掛けられるって分かってて飛び出すなんて出来ないぞ?最悪、死ぬ可能性だってあるのに。お前自身を快く思っていなかっただろうしな…それでも動いた。それを間近で見たんだ。お前やお袋に測り知れない影響を与えたんだろうよ。だが……」


ペラペラとレイリアの容態が記された資料を捲りながらセトゥーバルは続ける。


「民衆にはそんなこと、どうでもいいのさ。お前は"永遠の愛を誓った子"であり、レイリアはそれを疎む"出来損ない"だ。それがあの国でのお前たちへの認識だ。」


ぎゅっと、手のひらを強く握った。
じめじめと心を侵食していく噂の感覚を久しぶりに思い出してしまったからだ。


「お前はそれを良しとしなかった。お前が見たレイリアはそうではなかったからだ。"出来損ない"がレイリアへの認識だなんて、認めたくなんかなかったんだよ。だから、お前自身が変わろうとした。お前は無意識ながらも正しく自分の知名度を利用しようと考えたわけだ………実際、あれからレイリアへの風評被害は少なくなったからな。ま、突き詰めすぎてレイリア自身を追い詰めたってことは確かだけどな」


本末転倒もいいところだ、と兄は他人事のように言った。
すとん、と腑に落ちたような心地だった。
この頃いろんな人の、いろんな言葉が耳に入ってくるように感じる。
これが、人と向き合うことなのだろうか。



「……今日は森林トマトのサラダにしましょうか」
「トマトが嫌いな俺への当て付けかこの野郎」


レイリアに謝らなければいけないことがある。
感謝を伝えなければならないことがある。
今はただ、声が聞きたいとアヴェイロはそう思った。

  • 最終更新:2017-07-16 20:32:11

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