亜麻色の髪の乙女EX



そう言えば、彼女の本名を知らない。教えられた名前は偽名だろう。

まだ蕾も膨らんでいない桜の木を見上げ、唐突にそう思った。
名乗ろうと口を開いて、でも躊躇って、そしていつもの名を口にしたからだ。
それを不快に思うことはない。我儘で、奔放で、天真爛漫という言葉がぴったりの彼女にも、抱えている問題があるということだ。もうひとりの大人しい側面の彼女がいるように。



「さくら?」
「春…もう少し暖かくなったら、一面薄いピンク色の花で埋め尽くされるんだ」
「薄いピンク色の花ね」
「風に舞うと綺麗だぞ」

いつも通りの帰り道。
冬になり葉も全て落ちた桜の木を見て、彼女は味気ないと呟いた。
こういう会話をしているとき、あぁ、彼女は別の世界の人間なんだなと改めて思う。大昔に流行ったアニメでいう、異世界人か。いや、あれは宇宙人と未来人と超能力者の話だったっけ。

その時、赤色のリボンを揺らして桜並木ではしゃぐ彼女の後ろ姿が見えた気がした。

思わず立ち止まって瞬きをする。世界は直ぐにまだ寒い東京に戻っていて、自分が立ち止まったことに気が付いた彼女が怪訝そうな顔をしながらこちらを覗き込んでいた。


「なあに、変なモノでも見えたの?」
「違う……春になったら花見でもするか」
「花見?」
「満開にもなると、ここら一帯はどんちゃん騒ぎになるぞ」
「品がないわね」

つんけんとそっぽを向いて思ってもないことを言う。くるりと踵を返したその足取りはスキップをしそうなほど浮ついていた。

「くくっ…」
「ちょっと!何笑ってるの失礼ね!」
「楽しみだな」
「……」

両手を腰に当てて、ぷくーと頬を膨らませた彼女は、もう知らないと言わんばかりにずんずんと歩き出した。
そんな姿が可愛いから、ついからかいたくなるが、あまりしつこいと拗ねる。
笑いを噛み殺して、彼女の数歩あとを再び歩き出した。

すると、何かを思いついたのか思い出したのか。
彼女はこちらを向いて、手を出してきた。その形は「指切り」。


「約束しましょ」
「指切りを知っているのか」
「………昔、誰かに教えてもらった気がするの。でも…忘れたわ」


少しだけ寂しそうなその顔に、まだ自分と彼女の間には壁があるのだと痛感した。





その日から、彼女は地球に来なくなった。












ぞわりと背筋を襲った寒気に、紡は現実に引き戻された。
どこかで何かが生まれる気配。それと、それらの行動を制限するための箱庭が出来上がった気配。
幻創種の出現と、それに伴う隔離障壁の展開。
紡はその隔離障壁の中に閉じ込められてしまったのだ。


小さく舌打ちをして、頭を巡らせる。
いつも彼女がいたから気が緩んでいた。エーテルやあちら側の世界で言うフォトンの適正を持たない紡は、アークスや協力者という対幻創種戦に特化した者たちとは違い、逃げ続けなければならない。

山伏としての九字を切ることは出来ても、あくまで護衛。良くないモノから身を守ることしか出来ない。





「オン・キリキリ・ハラハラ・フダラン・バッソワカ・オン・バザラ・トシャカク 臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


ゾンビがこちらに気付いた。
護身をしたのなら、あとはもう全力疾走で逃げ切るしかない。

ゾンビも戦車もヘリも恐竜も。全部全部見ないふりをして、紡はくるりと背を向ける。一歩踏み出したその瞬間、頭上を大剣を担いだ少年が飛び越えていった。

素質の差というものを、見せつけられていた。
紡はどちらかというと、持っている方の人間だ。でも、それが中途半端なことを理解している。そうあやふやにしているのは紛れもなく紡自身の意思なのだから。


「……流石だな、アークスか」
「え…あれ、その制服…びっくりした…レイリアさんのクラスメートの…」
「…? レイリア?  あぁ、もしかしてうちの学校の留学生か」


飼い猫の名前が聞こえたような気がして、紡は首を傾げた。
そんなクラスメートは知らない。


「え、あぁ…そ、そうです」


紡を意図せずに助けたのは、ハミューだった。
学校は春休みに入り、アークスとしての活動が多くなっていた。だからつい、その調子で話しかけてしまった。紡はアークスやアースガイドのことは知っていても、厳密に言えば関係者ではない。基本的に彼の護衛をしている彼女も、多くは伝えていないはずだ。


「い、いえ…あ、紡君…でしたよね?お怪我はありませんか?同じ学年のハミューといいます」
「あぁ、黒木紡だ。ハミュー……隣のクラスの、なるほど…」


ハミューの顔をまじまじと眺めると、紡はたまに彼女が廊下で話していた相手だと思い出した。なるほど、彼も"そう"なのだ。


「助かった。ありがとう」
「ほんと間一髪でしたね、間に合って良かったです…よければ送りますよーまだ敵性反応感じますし…」


ハミューは武器を構えつつ周りの気配を探っている。
紡も"何かがいる"ということだけは分かる。ゾンビたちに引き寄せられて、"良くないモノ"すら感じるのだ。


「ではいきましょう…どっちでしょうか??」
「公園が近くにあるはずなんだ。そこへ行こうと思ってたんだが……」
「公園の方向に反応ありですね…」
「戦闘は任せっきりになるがそれでもいいか?」
「はいっ まかせてください」


戦闘の全てをハミューに任せて、紡はその後ろをついていく。
途中、祓いをしながらも何とか公園までの道のりを確保した。


「悪いな…この頃騒がしい護衛がいたからすっかり気が緩んでいた」
「騒がしい、ですか?」


敵性体の反応が遠いということを感知したのだろう。
ハミューは武器を仕舞いながら首を傾げた。


「そうか、アークスなら知っているか……藤原…と言う名は偽名だろうが、下校時は世話になってたんだ」
「あ、なるほど…」


護衛というのはレイリアのことだろう。だが、"騒がしい"という単語に普段の彼女は結びつかない。となると。
紡といるとき、レイリアは常にあちら側…つまり、もうひとつの側面が表にいたということなのだろう。ハミューはそう心のなかで解釈して、紡に話を合わせた。


「……ここ数週間、藤原がこっちに来ていない。何かあったとか聞いてないか?」


言い淀んで、躊躇って、紡はずっと疑問に思っていた…心配していた事柄を問うてみた。
アークスとして、何かあったのだろうか。桜はもうすぐ咲きそうなのだから。


「え?レイリアさんは今…っ」


集中治療室にいる、そう言いかけてハミューは口を噤んだ。これは話しても余計な心配かけるだけだと判断したからだ。


「……何か、あったんだな」


そんなハミューを見て、紡はある程度事態を予測出来た。
なんとなく仲間はずれのような感覚がする。実際、紡は彼らの仲間でもないし、彼女の素性も何も知らない。


「…そうか。俺はあいつの素性を何一つ知らないし……聞かれたくなさそうだったから、何も聞こうとは思っていないが…こうもいきなり居なくなると、静かだなって思っただけなんだ」
「……」


ハミューは何も言わなかった。
紡も追求することはない。


「あんたも二足のわらじなんだろ? 凄いな、大変じゃないのか?」
「んー…そうですねー…」


湿っぽくなってしまった空気を変えようと紡は話題を逸した。
こちらの意図を汲んで、ハミューも話に乗る。


「でも、誰かを守るために、自分の力はつかいたいし…僕は地球が好きですから」
「そうか、強いな」
「僕もこちらには友達もいますし、友達に何かあったなら飛んでいきますし…絶対守ってみせますっ」


自分に与えられた力を以って、それに見合うように努力している。
すごいな、と紡は単純に思った。紡は逃げてばかりだからだ。眩しいとさえ思う。


「…レイリアさんはいつも紡君を護衛してたんですか?」
「…頼んだわけじゃないんだけどな………もしかして、あいつの名前ってレイリアなのか?」
「あ、アークスを知ってる方なのでつい…ってもう遅いですね…はい、藤原さんはこちらではレイリア、ですね」
「そう…なのか。 だからあの時…」


飼い猫の名前を言ったときの、あの何とも言えない表情はそういうことだったのか。
母や自分に名乗れなかったことに、もしかしてこの事柄も含まれているかもしれない。


「…どうかしました??」


ハミューが気まずそうに首を掻く紡を見て声を掛けた。


「……うちで飼ってる猫と同じ名前なんだ。名前を教えた時、なんとも言えない顔をしていたのはあいつも同じ名前だったからか」


「そ、それは…なるほど…レイリアさんと仲がよかったんですね」


そう言われて紡は最初の出会いを思い出した。殺されそうになったのだけれども。
でも、色々と遠巻きにされてきた自分にとって、レイリアは一番近くにいた人間だったのかもしれない。


「……そうなのかもな。 この頃全く顔を見せないのは、他に楽しいことでも見つけたのか」
「…レイリアさんがずっと紡君を護衛してたのは紡君が守りたい対象だったからですよ。それは簡単に放棄できることじゃないです」


ハミューの言葉の意図が分からなくて考える。
そして思いついたひとつの"可能性"を聞いてみた。


「ハミューは向こうであいつに会えるのか?」
「………」



「たまには顔を見せに来いと伝えといてくれ」
「‥…そうですね、必ず、こちらに来るようにお伝えします。だから…紡君も待っててあげてくださいね?」
「……」


次は紡が黙り込む番だった。
彼女は今、大きな岐路に立っているらしい。そこに、自分が入り込む余地はないのだということにも。


「あぁ、待ってる」
「では…約束です」

そう言ったハミューは小指を立てて、こちらに手を差し出した。


「アークスの間では指切りが流行ってるのか?」
「え?あはは、変でした?」
「いいや、あいつもやってたからそう思っただけだ」
「・・・そうでしたか」



ハミューはそう言って律儀に付き合ってくれる紡に感謝しながら、今何かと戦っているチームメイトのことを思い出していた。

(紡君の気持ち…分かる気がするんですよね…僕もナゴミちゃんと離れたとき、今の紡君みたいな顔してたかもしれない)


「早く、戻ってくるといいな」
「…大丈夫です、紡君が待ってる限り、きっと大丈夫です」


確証はない。
レイリアが戻ってくるかも分からない。
でも。



「レイリアさんは、期待を裏切る人じゃないですよ」



それだけは自信を持って言えたのだ。


















桜の蕾は膨らんでいた。開花はもうすぐそこだろう。
規制が解除され、ハミューとはその場で別れる。

花見をしようと約束をした公園で、紡はぬるい春の風に当っていた。
一緒に今年の満開の桜を見ることは叶わないだろう。
でも、桜が咲くのは今年だけではない。来年だってその次だって、桜はそこで咲き続ける。


――だから、待っていよう。


頬を伝った涙に、紡は気が付かない振りをした。





【中の人より】


  • 最終更新:2017-04-08 23:32:31

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